3年前、フリーランスの介護士として地域の方の困りごとのお手伝いをしていたときのことです。
あるご高齢の女性から、「日帰りでいい、せめて半日でいいから外の景色を見に出かけたい」というご依頼がありました。
私は何度かご自宅に伺い、簡単なインテークをとりながら、ニーズをつかもうとしましたが、詳しい内容や深い理由はわからずでした。
ただ「外の景色をみたい」という言葉を繰り返されたのです。
女性の行きたい場所は、それほど遠くなく、
ご家族でもお連れできる距離でした。
しかし、なぜか私と行くことに…。
向かった先は墓地。
豪華なお花ではなく、ご自身が端正込めた菊を少し。
そして、お線香と蝋燭のみのお供えでした。
真新しい卒塔婆や、
墓石のご苗字が違うので、ご実家かな?と思いつつ、
気になったので尋ねてみました。
かえってきた言葉は「お察しの通り。家族のものとは違いますねんよ…。
変なお手伝いを頼んでしもて、ほんまにごめんなさいね。」
私は、「しっかりお話しして差し上げてください。私は少し離れています」と伝え、その場をはなれました。
(転倒などがないように見守りはしていましたが)
帰りの車の中で、ようやくその方の本音、大事な大事な昔のお話を聞きました。
「戦争によって引き裂かれ、帰ってくると信じて生きて待っていた時間。
私は親戚のすすめから、他の人と結婚し、2人の子どもに恵まれ、何不自由なく暮らしてきた」と。
お墓の中で眠る方は、この依頼主さんの初恋のお相手でした。
長く北の果てに抑留されていたそうです。
帰ってきた時には、お互いに時間が経ちすぎていました。
それから、
唯一の交流として、年賀状のやり取りのみをしていただけ、
お相手はずっと独身を貫いていたそうです。
女性は「戦争ほど惨めなものはない」「いつか向こうの世界に行く時がきたら、きちんと謝りたい」と呟かれました。
お話を聞いているときは戦争に対する思いなどで胸が苦しく哀しい気持ちになりましたが、お墓に向かって拝んでいるお顔は今まで見てきた中でも一番穏やかな優しい面持ちでした。
それが私には救いでした。
お墓に向かい手を合わす様子に、12月とは思えない青空があり、少し雲が掛かっていましたが、その雲の合間から天使の通り道が女性に降り注いでいる姿がありました。
それは何かが彼女を包みこんでいるかのように、私には見えた気がしました。
さいごに
90才を越えると、認知症の出現率が高まります。
思い出を作ること。記憶が残っている間にやっておきたいこと。
そんなお手伝いをすることも、『介護』に携わる者には必要なことだと感じています。

山川洋子

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