とある介護職員のとある日常「知るということ」

最近、うちの施設であったやり取り。

認知症ありと書かれた指示書。

「認知症」だけで得られる情報なんてほとんどない。

ケアスタッフが、「認知症かあ、対応は大変になるんやろか?」
と聞いてきたから、

「わからん、その人自身を見ていないから、ちゃんとした判断が今はできないよ」と伝えた。

「これ以上(認知症のある方)増えたらめんどくさいやん」と言う。

「そうかあ?
めんどくさいかあ。
じゃあ認知症の何がめんどくさい?」

「帰りたいって言ったり、徘徊したら困るから」って。

認知症=徘徊
短絡的過ぎへんかな?
でもそれも一理あるし、考えちゃうよね。

私は「確かにその可能性はあるよね。
じゃあ何で徘徊をしたくなるんやろ?
一度、自分に置き換えて考えてみて」と伝えた

スタッフは悩みだした。

変なことを、山川に言うてしもたなあ…なんて顔をしている。
ばれてるよ(笑)

とにかく
相手の立場になって考えてみる。
それを追及してと伝えた。

そう言う私はスタッフの立場にたててたかな?

私は認知症のある方と会う度に楽しく過ごしてこれたか?といったらそうともかぎらなかった。

入浴拒否がある人や
帰りたいと歩き回る人
いきなり杖で襲いかかる人もいた。

私だって最初から得意だった訳じゃない。

どうやって理解に繋げて行けたかと聞かれたら、
やっぱり答えに窮する。

とにかく勉強するしかなかった、その時間は膨大なものだった。

もちろん私が持つ天性も少しは助けてくれたんだけれど。
それは、何よりもその人を知ろうと思う好奇心や観察力。
これを発揮しないことには認知症ケアは難しい。

お薬の状態も確認する。

気持ちが上がっちゃうのか
気持ちが下がっちゃうのか
そこを見ることにしている。

私の場合、その方に接していく過程で体験し、悩み考え答えが見つかることで、知識が増えていく。
それが介護系エビデンスとして確立されることがよくある。

だからあながち間違ったケアには繋がりにくいんだと思う。

座学も大事なことだけどね。

さいごに

寄り添うことは
隣に座ってウソをつくことではない。
安心や安寧を感じてもらうことなんだと思う。

安心は心が休まる状態をさす。

徘徊は何かしらの不安が生じることで現れやすくなる。

不安が生じなければ徘徊は減る可能性が高い。

今からスタッフに対して勉強を強いる気はない、でも「まなびたい」と思う気持ちがあるならば私は全力で応援する。

とりあえず認知症を嫌わずに、相手を知ることに全力をそそいでもらえたら、ありがたいなぁって思う。

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山川洋子

山川洋子

支援学級にて筋ジストロフィーやアスペルガーのある児童のケアをきっかけに介護と出会う。現在は医療法人松下会デイサービスエリクシールの生活相談員に従事。その傍ら、施設の業務改善アドバイザーを承ったり、地域で困っている方を、保険外でお手伝いしたり、外出サポートなども行う「チームおたがいさん」も行っている。介護福祉士、認知症介護実践者。

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