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【やらない=わかっていない?】
「虫歯なのに歯医者にいかない」
「体重が増えているのに間食をやめない」
アタマでは理解していながら
真逆の行動をとることって
わたしたちもありますよね?
だとしたら
「行動しないのは理解できないから」
とは限らないのではないかな?
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「わかっちゃいるけどやめられない」
耳の痛い人もいるかもしれませんが、アタマではどうするべきか理解しているのに、行動に移していないことってありますよね。
- ダイエット
- 禁煙
- 部屋の片付け
- 不要品の処分
- 書類整理 等
きっと例をあげればきりがないでしょう。いま辞めないと自分を窮地に追い込むことになるとわかっていても、さっさとやれば楽になるとわかっていても、人には誰にでも「わかっちゃいるけどやめられない(やらない)」という行動をとる側面があります。人間ってそういうものですよね。
ところが、他人のことになると、なんだかルールが変わりませんか? 例えば、相手が思うように行動しない時に、「何回言えばわかるんだ?」「必要性がわかってないんじゃないか?」と言ったり、そのようにとらえたりしたことが、きっと誰にもあると思うのです。
実は、そうしたとらえ方は、「やらないのはわかっていないからだ」という考え方の上に成り立っている、裏を返せば「わかればできる」という考え方が前提になっていると言うことが出来ます。
「理解」がすべてではない
そして、現実には、次のような体験も皆さんにあるでしょう。
- わかっていないから、やらない
- わかっていないから、できない
- わかっていても、やらない
- わかっていても、できない
つまり、「理解」だけでなく、「意思(やる/やらない)」や「能力(できる/できない)」も、人の行動を左右するものです。
しかし、実際の現場では、「認知症」の人の「理解」を変えれば行動が変わると信じて、説明・説得を繰り返している場面に遭遇します。さらにいえば、「繰り返し言って、“刷り込んで”覚えてもらおう」といったなんとも失礼な表現で、理解をうながす繰り返しの説明・説得を推奨するような考え方に触れることもあります。それでうまくいく場合もあるのかもしれませんが、その選択肢しか持ち合わせていないというのは、窮屈なことです。
認知症がある人に限ったことではありませんが、「認知症」があれば「やりたくでもできない」ということもあるということを忘れずにいないと、いつまでも「理解」に頼るアプローチしかできないことになってしまいます。
おわりに
いまの介護業界には、「介護が必要な人は規則正しく、清廉潔白な生活を送るべし」という文化が根強いように、わたしは感じています。わたしたちは、自分が病気をして薬を処方されてもそこそこに飲み残すこともありますし、疲れていたらお風呂を翌朝に回すこともあるでしょう。
しかし、介護が必要になったら、そうした自由さえも奪われているのではないか?と思います。自分の「わかっちゃいるけど辞められない(やらない)」を棚に上げていたら、いつまでたっても利用者の「わかっちゃいるけど◯◯◯」の可能性に気づく感性は磨かれません。今回の記事をきっかけに、そういう目線で利用者と関わってみてほしいと思います。


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