母は、アルツハイマー型認知症と診断されて7年が経ちます。診断されて3年ほどは、私に病気の理解がなく大変な日々でした。母が認知症という症状を受け入れ、私が正しく認知症のことを理解してからは、穏やかで楽しい日常を送ることができるようになりました。ただ、現状に至るまでには、そのような日常を送る中で、母の認知症が初期から中期へ移行する時期に、進行する認知症を諦めるべきかどうか、葛藤がありました。
進行する症状とどう向き合う?
母のアルツハイマー型認知症の症状は、徐々に進行しています。初期の頃は出来ないことがあっても、工夫すれば困らず生活できていました。
- 日時がわからなければ、携帯電話で確認する
- 忘れそうなことはメモに残す
- 介護保険サービスや保険外サービスを使う
- 同じマンションや地域の方にも支援していただく
こんな具合です。お陰様で母は、今も変わらず毎日外出し、認知症とともに自分らしく生活できています。このような生活を長く続けることが出来ている理由の一つには、私たちが何事も諦めなかったからではないかと思っています。
諦めてなるものか、と工夫を重ねた日々
「毎日、やることがないのが辛い」と母が言うので、毎日出かけて人とのコミュニケーションを楽しめるように、出かける先を見つけました。
母が1人では目的地に行けなくなった時は、目的地に着けば楽しく過ごせるのだから、と諦めずに母が安全に目的地に着ける手段を探しました。
母がマラソンイベントのラン伴に参加した時は、「認知症には負けないぞ。」と自分の心意気を書きました。

私は、積極的に工夫しながら生活する母を見ていて、生活のいろいろなことをずっと続けていれば出来なくならないのではないか、と思っていました。食器の片付けやゴミの分別、鍵の開け閉めは、毎日母の仕事でした。何か生活に困りごとがあれば、工夫は出来ないか?と常に考えてきました。
進行とともに諦めないといけないことが増えてきた
しかし、症状の進行と共にだんだんと諦めなければならないことが多くなってきました。
- 以前は自分で行っていた血圧測定を先生主導に
- 鍵の開け閉めは、送迎に来てくださる方々にお願いするように
- ゴミは、ヘルパーさんや私が気付いたときに処理するように
私は、「諦める」という言葉が嫌いで、母のことでは絶対に諦めたくないと思っていました。母は、そんな私に振り回されて、少し生きづらさを感じていたかもしれません。
「諦める」ことで穏やかになった母
いろいろなことを諦めることがどうしても出来なくて、オレンジカフェのスタッフさんに相談しました。
すると、「諦める」ということはそんなにダメなことなんですか?と、一冊の本を紹介していただきました。
「諦める」とは、もう希望や見込みがないと思ってやめる(goo国語辞書)ことだと思っていましたが、「明らめる」と語源は同じだそうです。この本を読んで、私は諦めることに抵抗がなくなりました。母の今の状態を観察し明らかにして、そのことに納得し、次はどのように工夫すればよいかを考えられるようになりました。
今までの私は、工夫することばかり考えていました。「観察して明らかにすること。そして、そのことに納得すること。」が抜けていたと思います。
最近、ディサービスからは「少し前より穏やかになられた」と報告を受けました。また、音楽療法でも「今の方がいいね!」と先生がおっしゃいます。
私の諦められなかった想いが母には重かったのでしょう。
これからは、どんどん「あきらめて」、症状の進行を受け入れてから工夫を重ねていきたいと思っています。


河合雅美

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