介護家族の気持ちは、常に揺れ動いています。表面上落ち着いているようにみえてても、悩みや不安はいっぱいなのです。はたから見たら、「そんなことで…」と思うようなことでも。
しんどい。嬉しい。楽しい。辛い。
自分の気持ちをコントロールするだけで疲れちゃう。どんなに介護に慣れても、父の状態は日によっても違うし、なにより、私の状態もいつも元気なときばかりでないから。毎日が戦闘モードで、気が抜けないのが本音。
しんどい辛いが避けられないならどうしたらいいのか、私が思ったことを書きたいと思います。
帰りたいという父

夜になると父がよく言う言葉です。



もちろんここは家ですから、帰る必要はないと私は思っちゃいます。でも、そのときの父にとって、ここは家ではないのですよね。なんだか、帰宅願望もずいぶん変わってきました。
「こんなとこにおられへん。はよ家へ連れて帰れ!」と、目を三角にして怒っていた父とは大違いです。とにかく父と家を出て、車椅子で周囲を納得というか、疲れるまでぐるぐる回っていた日々を懐かしく思います。
父の介護生活も長くなって、父のいろいろな(無茶苦茶な)要求にその場かぎりかもしれないけれど、なんとか納得してもらえるような対応ができるようになってきたのかもしれないです。
ちょうちんを買いに行くという父




そう言ってとりあえず離れると、大体の場合、ちょうちんのことを忘れています。その後、ちょうちんが「おまんじゅう」や「材木」にかわって続くこともあるのですけどね。
嫁が他の人の愛人になったという父




同じことを繰り返すけど、その都度その場で対応すればいいんです。繰り返しには疲れるけれど、1番疲れるのは終わりの見えないことだったので、今はその場で対応すればある程度のところで終わりになるのがわかります。
結局、介護をしているということは変わらない
もちろんうまくいかず、父の機嫌がなおるよう、あの手この手を使うときもあるけれど、以前のような悲壮感はありません。体力に自信はなくなってきたけれどね。
ただ演技?嘘?ばかりで父をごまかし続けているようで、苦しくなるときがあります。反面、私の言葉に自分の期待していた答えをもらえたときの父の安堵したような表情をみると、このままで演技し続けようと思ったりもします。
どうせ演技するのなら楽しい世界がいいな。ぴぴぴってお鼻を動かしたら、ご飯ができちゃうような世界が私の希望。それとか、小人さんがいっぱいでてきて夜中に家中をピカピカに掃除してくれてたらいいよなぁ。いつか実現させたい、希望の言葉をどんどん言っちゃおう作戦です。だから、「ご飯まだか?」って言われたら、「今、レストランのコックさんが作ってくれるから待っててね」って言うんだ。
考え方を変えたとしても、私のしていることは何も変わらないんです。ただ、同じ介護するなら、しんどいを楽しいに変換したいものね。
さいごに
父の世界を完全にわかることは私にはできない。想像することしかできない。私にできるのは一緒に居続けること。一緒に居続けるためには、私の気持ちが楽になる方法を考えるのも大事よね。
もちろん、介護から物理的に離れて気分転換の時間を作ることも大事ですが、一緒にいても気持ちが楽になる方法を探すのもいいかなぁという、私の気持ちを書いてみました。
前回記事:笑って父ちゃん!脳血管性認知症の介護体験談~絶対に必要な介護者の心の支え~


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