VR認知症体験会は社会を変える!

by 軍司大輔軍司大輔 11512views

「デジタルコンピュータに接続されたディスプレイは物理世界では現実にできない概念に親しむチャンスを与えてくれる。それは数学的ワンダーランドを覗く鏡だ」

VRの先駆者、アイバン・エドワード・サザランドはバーチャル・リアリティをこう表現しています。今日、VRはいくつかの変遷と可能性を持って進化し、現実にできない概念や数学的ワンダーランドどころか、「物理社会で現実に起きている」概念に親しむチャンスすら与えてくれます。

言い換えれば、「未知の現実に通じる扉」として。そして、それは社会を変える力を持っていると言えるでしょう。

当事者・社会・自分の今を変える

介護に携わる者として、また、認知症と診断された祖母の孫としてずっと引っかかっていることがありました。

自分はある程度のスポーツをこなすだけの身体を持っていて、ここが何処か、今日がいつか、クッキーの材料をどこにどうやって買いにいけばいいかも理解していて、電車に乗っても、降りる駅を間違えたのは寝過ごした時だけです。担任している学生の名前は全員覚えているし、目に見える人やモノには実際に触れることができます。幸いなことに持病もありません。

そんな自分が、認知症当事者や介護を必要とする人の持つ感情に、「共感」して「ケア」することが本当に出来ているのか?ということです。これは、多くの対人援助者が感じていることではないでしょうか。

介護関係の教科書にはさも当然のように、「共感しましょう」「共感的理解をしましょう」と書かれていますが、これを見るたびに、「そんなに簡単なものじゃない」と漠然と思っていました。(僕に臨床心理を叩き込んでくれた某先生も「相応のトレーニングなしには難しい」と仰っていました)

20年近く前、とある病院では「患者」と呼ばれる認知症の人たちに、鍵のついたツナギを着せ、ミトンを着け、ベッドに体幹・上下肢を縛りつけ、薄汚れた天井を見ること以外の権利を奪っていました。病棟には重い鉄の扉が設置され、常時施錠されています。病室は強化ガラスと鉄柵で囲まれ、ベッドだけが置かれているか、床に布団が敷かれているだけの部屋もありました。理由は「認知症だから」、それでもやはり教科書には「共感すること」と書かれていました。

VR認知症プロジェクトは、株式会社シルバーウッド社長の下河原忠道氏によって、『私の脳で起こったこと レビー小体型認知症からの復活(ブックマン社)』の著者、樋口直美さんらを監修・演技指導に迎え、制作されています。

この画期的なテクノロジーと情熱の融合体は、これまで接してきた多くの高齢者や若年性認知症と診断された人たちの見る現実を体験させてくれます。

HMD(ヘッドマウントディスプレイ)を装着している間、自分は確かに認知症でした。体験の共有は共感につながる、おかしな言い方をすれば認知症かどうかではなく、ただ単純に今困っているこの人たちがどうすれば生きやすくなるのか?を考えるようになります。

VR認知症体験記

テクノロジーが社会課題を解決してきた例はいくつもあります。社会はテクノロジーによって変化し、また多くのテクノロジーを生み出してきました。

VR認知症体験会はこれまで1500人以上が体験し、先日、僕が主催するケアコネクトみやぎという小さな介護職ネットワークで実施いただき、80名以上の参加がありました。

開催当日に体験した順に、これから体験する方のために内容の詳細を記載することは避けつつ、体験した感情を述べてみます。(話数表示は作成された順ではありません)

1話目

電車内で目覚めた「私」はここがどこかわからない。どの駅で降りればいいのか、降りたとしてもどうすればいいかわからない状態です。

  • 未知の環境への不安、恐怖
  • 周囲、他者を見るたびに深まる孤独感
  • 歯痒さ
  • 安心感

初めて認知症を一人称体験し、5分程度の短い時間の中でこれだけ感情が動いたのがわかりました。直後に下河原氏が会場に向かって「この人は認知症ですか?」と投げかけます。

VRをどこまで主観として受け入れられるかは、個人差があるのかもしれません。自分事として考えたとき、客観的に捉えたとき、それぞれに答えは変わるのかもしれません。それでも焦りと不安の中で一人取り残される駅のホームを体験することで、対人援助者でなくても「出来ること」があると実感します。

2話目

視空間失認。ビルの屋上から下を見下ろすシーン、高さへの恐怖心はもともとの自分が高所恐怖症ということもあって大きいですが、横にいる介護職員と思われる人物が屋上から足を踏み出すよう再三促す様は、高さとは違う恐怖を投げかけてきます。しかし、その介護職員はとても丁寧な声がけをしてくれている。それが余計に自分を困らせます。

3話目

レビー小体病のはっきりとした幻視には集中力を削がれ、何をどう意識していいのかわからない不安が付きまといます。この状態が続くことを想像すると言いようのない怖さに襲われますが、それでも登場人物が自分を安心させようとする姿や言葉が心に少しの余裕を与えてくれました。

一人称体験後、過去に出会った多くの認知症当事者との関わりを思い出しました。体験中、ほとんどの時間は認知症当事者を体験していましたが、2話目の介護職員は過去の自分を見ているような感覚にもなりました。

認知・感情・行動のつながりと社会環境

今回私は、「一人称体験をする」「認知症当事者になる」ことを強く意識してVRに入り込もうとしたからか、想像以上に「自分事」として体験することができた思っています。

しかし、大切なことは「体験した」「VRは凄かった」「面白かった」で終わらないことです。何故認知症体験をするのか?前回の記事でも書きましたが、まず自分たちが「知っている」状態になること、そして当事者の状況、状態を想像できるようになることです。

体験すること、知っている状態になることで、「何故認知症の人がこのような行動をするのか」がわかり、理解することができます。1話目で体験したような「ここがどこなのかわからない」状態が介護施設や病院で起きた場合、おそらく多くの人は出口に向かって歩き、なんとかして自宅へのルートを探そうとするでしょうし、それが正常な行動です。

しかしそれは専門職によって、「帰宅願望がある」「徘徊している」とされてしまいます。認知症当事者にとっても行動には当然のように理由があるはずです。

2話目の介護職員に対して、自分の身を守るために抵抗する人もあれば攻撃する人もいるでしょう。その時、どんなことを認知していて、どんな感情を持って行動に至っているのか?なぜこの行動が起きているのか?知識として知るだけではなく、体験することは当事者にとっても周囲の人間や社会にとっても「よくなるきっかけ」になります。

VR認知症を体験した我々は、認知症を認知したことでこれまでと違った感情が生まれるか、もしくは知識として持っていたものをアップデートすることができます。そこから我々の行動も変わり、社会を変えることにつながるでしょう。

物理的な環境を大きく変えるには現実的に時間もコストもかかるかもしれません、が、人の意識が変わるだけでも社会環境は大きく変化します。「バーチャル」を体験することで「リアル」が変わります。

さいごに

認知症になっても人生は続きます。多くの人が一声かけられる社会、知っている社会になれば自分が認知症になっても社会とともにあることができます。

VR認知症体験は我々がどうあれば認知症の人が生きやすくなるかを教えてくれると同時に、我々自身が認知症になった場合に起こる「自分の変化」も知ることができます。体験者の一人として、多くの人にこの体験を共有してもらいたいと思います。VRで体験したことがもしかしたら数年後、もしかしたら数日後にはHMDを装着していない自分や家族に起きるかもしれません。

その時、偶然電車で居合わせた人が声をかけてくれる社会を作るために。

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軍司大輔

軍司大輔

前介護福祉士養成校学科長。介護療養型医療施設等で介護福祉士として従事した後、介護教員となり、現在は地域での介護事業に携わっている。介護職ネットワーク「ケアコネクト」代表として認知症勉強会や情報交換会を開催。国家試験実技実地委員、実務者研修・初任者研修・福祉用具専門相談員講習講師の他、介護福祉士養成校・各種試験対策講師を務める。教育と臨床の両面から地域で活動する。HR/HMギタリスト。
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