学校だけではなく社会全体で認知症教育を行ってみよう

by 軍司大輔軍司大輔 4162views

平均寿命の長い日本人に生まれた以上、多くの人が認知症者になることは目に見える未来として迫ってきています。今回は予防、治療ではなく、ちょっと極端かもしれませんが、「ヒトは認知症になる」ことを前提として、教育の観点から考えていこうと思います。

はじめに

明らかに認知症状の現れている人が、ひとりで街中を歩いているとします。多くの人は「おかしいな」と思いながら通り過ぎるか、スマートフォンの電話アプリを立ち上げて110をタップするかのどちらかではないでしょうか。

ただ、その人の横を通り過ぎる100人の中で1人でも、「この人は認知症かもしれない」と気づき、「こんにちは」と声をかけるか、少し足を止めて見守ることができれば、その認知症者の人生は今よりも良い方向に動き始めるかもしれません。

風邪と認知症と、教育と

極端なことを言えば、100%の無菌室を造り、その中から一生涯外出せずに暮らすことで、「風邪をひかない人生」は手に入ります。その代わり、外の世界に広がる多くの素晴らしい体験を手にいれる機会を失います。

風邪をひく代わりに、美しい風景、自然、人工物に囲まれ、多くの人と関わりながら人生を送ることができるのです。もちろん理想は「風邪をひかずにそれらを手にする人生」ですが、未だ人類は風邪を根絶することはできていません。

認知症はどうでしょう。当然のように人類は、「認知症予防・認知症治療」に挑戦し続けていますが、風邪と同じく未だ100%有効な手立ては見つかっていません。

認知症を知るのはいつか

例えば、「人間は老いるもので、この人生の先には認知症がある」と理解している子供は少ないでしょう。成長するにつれて、周囲の祖父母や両親といった大人たちが老いていき、傍では新しい命が誕生し続け、環境も人間関係も変化していく中で「ヒトは老化する」ことを実感するのではないでしょうか。

そんな中、ある人は小学生の頃、ある人は社会人になってから、それぞれのステージで「認知症」に出会います。それは実家のリビングかもしれませんし、交通事故を報じるテレビニュースかもしれません。人生のどの段階で「誰」の認知症に出会うかによって、認知症に対するイメージや対応は変わってくることでしょう。

核家族化、幼児期~学童期に高齢者と触れ合う機会が減少している昨今、テレビから流れる「認知症高齢者の交通事故」「認知症による行方不明者が…」といったネガティブなエピソードを一方的に耳にする機会が増えてきています。もちろん事実もありますが、ひとつの側面だけを切り取った情報は、高齢者や認知症者への印象が偏ってしまうことも考えられます。

「知っている」をつくる教育

これほど高齢者・認知症者が増加している中で、教育にそれらが含まれることはもはや自然な流れです。実際に「総合学習」の時間に認知症教育を取り入れ、他の教育機関と連携した学習に取り組んでいる小中学校も存在しています。

まず、小学生をはじめとした子供たちに何を伝え、「どうあってもらうこと」が認知症者にとって住みやすい環境なのか?を考えます。介護教員としては外せない倫理や尊厳という難しい話はもちろん、最も大切はことは「知っている」という状態になってもらうことではないでしょうか。

  • 認知症という言葉を「知っている」
  • 認知症の人がいることを「知っている」
  • その人はあなたと同じ「この町の住人」であることを「知っている」
  • その人はたまに困ることがあることを「知っている」
  • その時、あなたにできることがあることを「知っている」
  • あなたにできることがあるようにその人にもできることがたくさんあることを「知っている」
  • あなたも認知症になる可能性があることを「知っている」

自分の内面にある主体的な感情の動き、記憶。客体として存在している人、物、環境、現象。それらの中に「認知症」というワードと状態が組み込まれること、それが教育場面で行われても自然な時代になっていると考えられます。

教育場面は学校に限らない

「総合学習」という枠での教育は「意識した教育」です。それを活かすために、日常的な生活の中で「無意識の教育」がより有効です。

高齢者・認知症者が存在している「環境」を社会側から構築することで、自然と認知症者に触れる機会が増え、人間としてのひとつの姿であることを受け入れていくのではないでしょうか。高齢者である、認知症であるということで、例えば言動や行動のひとつひとつに違和感を感じることもあるでしょう。その違和感を学校等が教育としてフォローする状況が、前述の「知っている」状態をつくることにつながります。

症状や疾患としての基礎知識ももちろん大切ですが、それ以前に「人の一生で自然に起こることを自然に目にする、触れる」ことができる社会そのものが、「学びの場」として子供たちの現実と高齢者・認知症者の現実を融合させていきます。その環境での日常体験は、教育機関での知識的な学習・体験学習につながり、効果を高めていくでしょう。

それは認知症だけでなく、各障害などもこれまでの「あるカテゴリー毎に集められる施設・サービス」という括りをつくるあり方ではなく、全てを含めたひとつの「コミュニティ」として社会をつくっていくことにもつながります。

あらゆる人が住んでいるのが社会であり、自然なコミュニティだった時代があります。時代の変化、専門分化といえば聞こえはいいですが、本当に今のような「分化する社会」は多くの人が望んでできた形なのか?という疑問も生まれます。

認知症者は認知症者で集まって住む、高齢者は高齢者で集まって住むことが当たり前になる必要はないのではないか、とも思います。それは多くの子供たちから「知る」機会を奪ってしまうことにもなり、余計に「望まない分化」が進む要因にも成り得ます。

認知症という誰もが起こりうる状態を知り、暮らしやすい社会をつくるために教育は家庭・コミュニティ・学校がそれぞれの役割を持って進んで行く必要があるでしょう。

おわりに

地域包括ケアシステムでは、子供たちも社会資源に成り得ます。そのために、認知症サポーター養成講座をはじめとしたいくつかの研修や講座が存在しています。小中学校の総合学習やコミュニティ教育も含めて、継続はもちろんのこと、どの程度の効果を上げているのか?を分析することも必要になってきます。

認知症教育を進めるためには、子供たちとともに大人も認知症を知る、自分事として考える機会を持つことが重要です。認知症当事者の方々も精力的に活動されています。新しい試みも生まれています。

必要性によって生まれた様々な動きを捉え、子供たちの世代が自然に認知症を知り、認知症とともにある良い世の中をつくるために、大人たちも自己教育として「知ろうとする」ことが、子供たちへの教育に大きな影響を与えることとなるでしょう。

「知っている」という状態は、感情・行動に変化をもたらします。知っているから展開が想像できる、リスクを感じることができる、どうすれば良いかわかる、何かを判断することができるようになります。それは近い将来、認知症とともにある社会につながっていくことでしょう。

前回記事:外国人介護士の参入、介護現場はどうなる?
関連記事:認知症サポーター養成講座とは?無料で認知症の基礎知識を学べる機会

The following two tabs change content below.
軍司大輔

軍司大輔

現介護福祉士養成校教務主任。介護療養型医療施設等で介護福祉士として従事した後、介護教員となる。介護職ネットワーク「ケアコネクト」主宰。福祉用具専門相談員講習、初任者研修、実務者研修講師、国家試験実技実地委員、介護施設研修、企業研修講師。認知症ケア研修、介護技術研究会、老々介護対策などを通し、地域で活動する。HR/HMギタリスト。
介護のお仕事

Facebookコメント