責めるように照りつける太陽に負け、僕は木陰へ逃げた。三人分ほどのベンチの端では中年の男性が本を開いており、僕はその反対側の端に腰を下ろした。
ブランコと砂場があるだけの小さな公園には、同じベンチに座っている男性と僕、そしてランドセルにはまだ早いようなチビ助が二人いた。チビ助たちは手に飛行機のおもちゃを持ち、はしゃぎながら走り回っている。彼らの様子から、ベンチの男性は父親のようだった。
見上げた空では、夏の象徴である積乱雲の白がここぞとばかりに青を陣取っていた。僕は視線を下ろした。夏の空は切ない。
あれは何年前のことだったか。太平洋戦争当時の僕は、飛行部隊の整備兵として配属されていた。整備兵になったのは、ピアノが弾けるから耳がいいだろうという理由からだった。
戦闘機に乗り込むのは成人ばかりではなく、まだあどけなさを残した少年たちも多かった。「敵を見たらとにかく突っ込めばいい」という指示に、「はぁーい」と返事をする無邪気さが見ていて痛々しかった。
戦闘機は数が充分ではなく、僕は常に修理に追われていた。修理が終わると、胴体に爆弾を巻いた乗組員たちは次々と特攻隊として飛び立っていった。「お国のため」と言いながら、僕の心境は複雑だった。僕が戦闘機を修理するということは、乗組員をあの世に送り出すということだった。仲間の整備兵たちも一緒に乗り込み、戻ってくることはなかった。
当時は口が裂けても言えないことだったが、僕は本当は人の役に立つ仕事がしたかった。どんなに取っ払っても、自分が人殺しに加担しているのだという考えが目の前にぶら下がる。戦闘機をひとつ修理すると、次の戦闘機が待っている。僕は自分の技術と引き換えに、乗組員たちの命を奪っていた。
「ぶーん」
本物さながらの飛行機を持ったチビ助が、もう一人のチビ助に向かっていった。
「死ねーっ」
助走をつけた飛行機は相手の背中に衝突し、地面に墜落した。その派手な音とともに、チビ助たちはそれぞれ違う理由で泣き声を上げた。
「パパー、壊れちゃったー」
「パパー、ぶたれたー」
膝元に駆け寄ったチビ助らに、本を閉じた男性は苦笑した。
「しょうがないなぁ」
呟いて、男性は壊れた飛行機を受け取った。特別になだめるわけでもない男性を前に、チビ助たちは泣き続けた。
「どれ、貸してごらん」
僕が言うと、男性がこちらを見た。同時に、チビ助たちがぱたりと泣き止んだ。
「おじいちゃん、直せるの?」
「やってみないと分からん。僕が直していたのは、もっと大きい飛行機だから」
「本物? すごーい」
飛行機を持っていた方のチビ助が目を輝かせた。
すると、もう一人のチビ助が声を張り上げた。
「直しちゃだめだよ! 直したら僕、またやられるもん」
僕は言葉を失った。
「ちょっと考えてみようよ」
口を挟んだのは彼らの父親だった。
「飛行機って、本当はどんなことに使うの?」
「えっとねー、空を飛ぶ」
「えっとねー、遠くに行ける」
「それから……」とチビ助たちは澄んだ瞳で空を見つめた。父親が言った。
「おまえたちもいつか、飛行機に乗ることがあるかもしれないね。そうしたら、どんなことができるの?」
「えっとね、いろんなところに行ける!」
「えっとね、すごいいろんなところに行ける!」
父親は微笑んだ。
「うん、そうだね。飛行機ってすごいね」
すると先ほど飛行機を持っていたチビ助が小さく飛び跳ねた。
「僕ね、パイロットになる! そしたら、いろんな人をいろんな所に連れていって、いーっぱい喜んでもらう」
「そうか。すごいな。そしたらパパも乗せてくれ」
「うん! パパは僕の隣に乗るんだよ」
「そうか」
父親はさも愉快そうに笑った。
「よし、できたぞ」
修理した飛行機を僕は手のひらに乗せた。
「もう直ったの?」
パイロットになると言ったチビ助が僕の膝に寄り掛かった。
「ああ。思ったより簡単だった」
「すごーい!」
彼の瞳の輝きが美しかった。僕はその瞳を覗き込んだ。
「君はきっと、いいパイロットになるね。おじいちゃんが直した飛行機はね、みんな戦争に行ってしまったんだよ。戦争ではね、たくさんの人が死んだんだ。でも、君が乗る飛行機は人を幸せにする飛行機だ。たくさん人の役に立って、たくさんの人を喜ばせてあげなさい」
「うん!」
チビ助はまた小さく飛び跳ねた。
「じゃあ僕……」
もう一人のチビ助が口を開いた。
「僕は、飛行機を直す人になる」
「ほう」
「だって、飛行機が壊れたら困るでしょ。おじいちゃんみたいに飛行機を直せたらかっこいいもん」
「そうか。かっこいいか」
今度は僕が愉快に笑った。
その時、女性の声が公園内に響いた。
「おじいちゃーん」
見たことのあるような女性だった。
「おじいちゃん、またここにいたの? すみませんね、ご迷惑おかけしていませんか? うちのおじいちゃん、人をつかまえてすぐに戦争の話をするから」
「いえ、迷惑なんてことはありません」
男性は穏やかに言った。
「むしろ、もっとお話したいです。もう少し、おじいさんをお借りしてもいいですか? 戦争の話をうかがいたいんです」
「あら、そうなんですか。私なんか耳にタコができるほど聴いてるけど」
女性は私の肩に触れた。
「じゃあ、おじいちゃん、ここにいてね。また迎えに来るから」
僕に水筒を手渡すと、女性の姿は小さくなっていった。チビ助たちはすでに走り回っている。
「こんな毎日が、ずっと続くといいです」
チビ助たちに視線を送りながら男性が言った。
「そうだね」と僕が言った。
※この物語は、著者の介護体験をもとに描いたフィクションです。
あとがき
たとえ身体が思うように動かなくても、言葉が自由に出なくても、若い頃のような役割を担うことができなくても、お年寄りにしかできないことがあります。それは「教える」ということです。知識ではなく経験でしか教えられないことがあります。忘れてしまうことが多くあっても、その記憶の引き出しの鍵を持っているのはわたしたちです。そしてお年寄りの皆さんは、言葉や仕草、表情でわたしたちに多くのことを教えてくださいます。そのひとつひとつに秘められた力を受け取ることができる介護という仕事に、わたしは感謝しています。
悲しみや苦しみ、切なさ、喜び、そしてきらめきは、誰もがその人らしさとして持ち合わせ、それは認知症状態であってもなくても同じです。認知症の真の理解を得るために、物語の力をわたしは信じています。

阿部 敦子

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