超高齢化社会を迎える中、認知症を予防・改善することは、私たちの大きな関心事のひとつ。テレビや雑誌など、あらゆるメディアでは認知症に効く食品や療法の特集が組まれ、「認知症にならないための」また「認知症を治すための」情報が溢れています。
そんな今、『治さなくてよい認知症』(日本評論社)という本が注目を集めています。本書は認知症を「治さなくていい、治らなくていい」ものとして捉え、必死になって認知症を排除しようとする世の中の風潮に異を唱えるもの。今回は、著者であり、認知症臨床現場で多くの実績を持つ日本医科大学 精神神経科 講師の上田諭先生に、認知症の捉え方について伺いました!
※本記事では、認知症という呼称のことを、原則高齢者の初期~中等度アルツハイマー型認知症を想定して用いています
「治る」信仰は「困った病気」のイメージを加速させる
―――認知症は「治さなくていい」と考える背景を教えてください。
認知症を持つ患者さんの多くは、認知症を「治す」ために私のもとに来院されます。薬を処方してください、元の状態に戻してください、と訴えられるのです。しかし、現段階の医学では、認知症の根本的な治療法はありません。
アリセプト等、症状の進行を抑える抗認知症薬も幾つかありますが、その効用も長い場合でも1年半くらいの間で、徐々に効き目は落ちていきます。その結果、記憶障害が進行して以前出来ていたことが出来なくなったりすると、「なぜできないのか」と本人を責めてしまう。そこに問題があるのです。
―――確かに、「治る認知症」と捉えていると、症状が進む度に落胆してしまいますね。
薬の効果の程度や持続期間についてもそうですが、認知症が治らない、という事実は、しばしば曖昧にされています。世の中全体が、認知症にならない方法や、早期治療の方法にばかり目を向けて、認知症を「困った病気」「社会から無くなるべきもの」として捉えている気がしてなりません。
もちろん、医学研究者が、認知症の予防方法や、認知症完治へ導く治療を研究することには大きな意義があります。将来的に、認知症を根絶できた、という時代もくるかもしれません。けれど、今の段階で私たち医師や介護者が研究者と同じ視点に立ってしまうことは、皆で認知症やその人を問題視していることと同じで、ご本人も介護者も苦しめます。
「治らない」を出発点に考えることで、より前向きに認知症そのものと向き合えるのではないかと考えています。
「治さなくていい」は「あきらめる」ことではない。
―――「治さなくていい」と言うと、医師としての義務を問う声も聞こえてきそうですが…
「治さなくていい」は、決して認知症をあきらめることではありません。むしろ、その逆です。「治らない」と視点を変えることで、物忘れなどの症状を無理に治そうとは考えなくなります。「治す」ことよりも、元気で「張り合い」のある生活を送ることに目が向くのです。本人の生活に注目するのが、本当の意味で認知症の「治療」といえるはずです。
―――医療機関を受診しなくてもいい、という意味ではないのですね。
もちろんです。認知症臨床で医師がまず大事なのは、正確な診断です。なかでも重要なのは、うつ病や薬剤性、アルコール性、甲状腺ホルモン異常といった「認知症と間違えやすい病気」を見極め、除外すること。誤診はさらなる症状悪化を招きます。
ただ、これを終えたら、家族と本人への生活指導や介護指導を最優先します。日中に何をして過ごし、いつ眠り、どんな食事をして、日常にどんな楽しみや不満があるのか。それらを家族や本人から聞いた上で、「張り合いのある生活」を送るためにどうすればいいか、家族と相談します。家族に対して、認知症を受け入れたうえでの接し方を指導するのも大切です。抗認知症薬は補助的に処方を検討しますが、効果が分かりにくい事や副作用もあり、安易には処方しません。
―――病院で診てもらっても、3分も経たないうちに「薬出しておきますね」で診察が終わってしまうというケースが多いと聞きます。
確かに、患者さんの話に耳を傾けない医師は多いと言われますね。原因の一つに、医療制度の問題があります。精神科診療では、健康保険上、認知症と診断された場合、いくら患者さんとの対話に時間をかけても、そのことで診療報酬を請求することはできません。これがうつ病だったら「精神療法」としての時間が治療として認められるのに、認知症の場合は違うのです。おかしい話ですよね。これは、今の医療現場が薬の処方に頼り過ぎている背景でもあります。今後、改善されるべき問題の一つです。
長寿を祝う国なら、認知症も受け入れるべき
―――昨今、認知症を防ぐ生活習慣や食品などが注目されていますが、予防についてはどうお考えですか?
「年をとっても元気に暮らすため」の予防なら賛成しますが、「認知症にならないため」の予防には違和感を感じます。どんなに完璧な食生活をしていても、運動を欠かさなくても、認知症になる時はなります。確かに認知症を導く危険因子としてよく挙げられるのは、糖尿病や高血圧といった生活習慣病です。しかし、これらは主に脳卒中で生じる血管性認知症の場合で、認知症でもっとも多いアルツハイマー病の典型ではありません。もっとも決定的な危険因子は、「加齢」です。
―――加齢は、国民全員が避けて通れないことですね…。
はい。認知症と診断される人の数は、60代では数%でも、その比率は歳を重ねるごとに増え、85歳以上になれば、ほぼ2人に1人が認知症と診断されています。ここまでくると、病気というより、自然な老化現象の1つと考える視点も必要です。もし、この「危険因子=加齢」を取り除こうとするなら、長寿を避けなければいけなくなります。日本の平均寿命は戦後延び続けています。長寿を礼賛するなら、認知症も祝福しないと筋が通りません。それが難しいのであれば、せめて社会全体が認知症を肯定し、認知症の人を歓迎していくべきではないでしょうか。
―――認知症になっても大丈夫、と思える社会を作っていくことが大切ですね。
そうですね。そのためには、まず本人の一番身近にいる家族が、「治らなくていいよ、物忘れしてもかまわないし、できないことがあったら一緒に協力してやりましょう。」と本人を受け入れることが大切です。認知症でも、生活や接し方を工夫すれば、楽しく暮らすことは出来ますから。誰にでも起こる、ふつうのことと認め、認知症の人と一緒に前向きに積極的に生きる方法を模索していきましょう。
★今回お話を伺った方
●上田 諭(うえだ さとし)さん
1957年、京都府生まれ。関西学院大学社会学部卒業後、朝日新聞社に記者として9年間勤務。その後、もともとの医学への志向から、90年に北海道大学医学部に入学(一般入試による選抜)。96年に卒業し、東京医科歯科大学精神神経科の研修医として勤務。以後、都立の高齢者専門病院を中心に働き、高齢者のうつ病治療に欠かせない電気けいれん療法の手法を学ぶため、米国デューク大学メディカルセンターで研修し修了。同年より日本医科大学(東京都文京区)精神神経科助教。11年より講師。著書に、「治さなくてよい認知症」(日本評論社、2014)、「認知症によりそう」(こころの科学 2015)「不幸な認知症 幸せな認知症」(マガジンハウス、2014)、訳書に「精神病性うつ病―病態の見立てと治療」(星和書店 2013)、「パルス波ECTハンドブック」(医学書院 2012)など。

認知症ONLINE 編集部

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