ふじ子さん。
学生だった僕の元に赤紙が来た時、貴女はその場で泣き崩れましたね。
「さん、はい」
『こよなく晴れた青空を
悲しと思うせつなさよ
うねりの波の人の世に
はかなく生きる野の花よ
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘は鳴る』
今、僕の前では老人の集団が声を張り上げて歌っています。その前で音頭をとっているのは 30 代と見える女性です。
「笹原さん、歌いましょう」
声をかけられても僕は歌いません。中には楽しそうに歌う老人もいます。けれど僕にとって歌というものは、目の前で銃弾に倒れた戦友たちを思い起こさせるものなのです。必ず祖国へ帰ろうと励まし合いながら肩を組んで歌った日々は、懐かしくも切ない思い出です。
「みんなで歌うと楽しいですよ」
女性が声をかけているのが僕であることは明らかでしたが、僕は黙って立ち上がりその場を離れました。
背後から今度は童謡の合唱が聴こえました。チーチーパッパと子どものように歌わされる老人の姿は哀れなものです。
廊下を歩いて人気のない場所まで来ると、僕は窓から中庭の花壇を見下ろしました。ふじ子さん。貴女が大切にしていた小さなバラ園で、必ず生きて帰ると指切りしたこと、そしてその暁には夫婦として結ばれると誓ったことが、花壇を見るたび思い出されます。貴女は花を心から愛していましたね。
「きれいな花壇ですね」
佇む僕の隣に立ったのは、やわらかな笑顔の女性でした。
「そうですね」
適当とも取れる僕の返答に女性は頷きました。
しばし二人で花壇を眺めた後、女性が口を開きました。
「笹原さんは、歌がお好きではないのですか」
僕は相手の顔を見ました。相手は続けました。
「私の気のせいなら申し訳ないのですが、戦争にちなんだ歌になると笹原さんはいつも席を立たれますね」
「そうですか」
「はい。私は歌が好きなので、皆さんが歌を楽しまれると嬉しいんです。でも笹原さんはいつも歌われないので、どうしてかと思っていたんですよ」
「そうですか」
「はい。どんな歌でも嫌ですか。中にはお好きな歌もあるのではないかと思って」
そこで女性は話をとめました。僕は黙って花壇を眺めていました。
「花にちなんだ歌はたくさんありますね。特に桜の歌は多いと思うんですが、私が好きなのはこの歌なんですよ」
そう言って、女性が微かに息を吸い込んだのが分かりました。
『童は見たり 野なかの薔薇
清らに咲ける その色愛でつ
飽かずながむ
紅におう 野なかの薔薇』
そのゆったりとしたメロディーに乗せた歌声は、突き上げるような衝撃で僕の胸を打ちました。この歌は、ふじ子さん、貴女がよく口ずさんだ歌でしたね。その白い指でバラを手折り、僕に差し出してくれましたね。
僕はこみ上げる涙をこらえることができませんでした。
「笹原さん……?」
不思議そうな顔で女性は僕を見つめました。
ふじ子さん。
なぜ貴女は旅立ってしまったのですか。生きて帰る僕を待っていてくれると、約束したではないですか。
「大丈夫ですか……?」
「僕は、僕は……」
言葉にしようとするほど声がふるえました。
「ふじ子さんは、約束したんだ。それなのに、それなのに」
女性は僕のふるえる肩にそっと手を置きました。
「誰にも言わなかった。ふじ子さんのことは、誰にも言わないと決めていた。誰も、ふじ子さんのことを知らない。だって、ふじ子さんは死んでしまったんだ。僕が満州から帰る前に」
その時、背後を通る気配とともに聴こえた言葉がありました。
「あらっ、笹原さん。感情失禁かしら」
その言葉に反応したのは僕ではなく、隣の女性でした。
「そんなんじゃありません」
「いや、そうでしょ。脳血管の特徴だから」
「そんなんじゃありませんっ!」
女性の声は荒々しくも澄んでいました。凛とした姿の彼女に僕は言いました。
「もう一度、歌ってください」
「え……」
「もう一度、聴きたいです」
僕の言葉に女性は瞳を潤ませると、ひとつ頷きました。
「分かりました。ウェルナーの『野ばら』です」
ふじ子さん。
時を経て、ようやく僕の心は解放されるかもしれません。あなたへの愛を語れそうな人にやっと出逢いましたよ。
※この物語は、著者の介護体験を元に介護施設を舞台として書かれたフィクションです。
あとがき
どんなに「○○療法」が良いと言われても、どんなに「○○レク」が楽しいと言われても、そこに「やらされ感」があっては逆効果もあり得ます。手段が目的にすり替わってしまっている場面を見かけることがありますが、真に心身の活性化を求めるならばそれぞれの物語の世界に入れて頂くところから始めたいとわたしは考えています。大事なのは手段よりも関係性です。
また、症状名のレッテルを貼られてしまうことについても、違和感をおぼえずにはいられません。それぞれの「思い」という目に見えないものほど、他人が一言で片づけることなどできないとわたしは思うのです。
悲しみや苦しみ、切なさ、喜び、そしてきらめきは、誰もがその人らしさとして持ち合わせ、それは認知症であってもなくても同じです。真の理解を得るために、物語の力をわたしは信じています。

阿部 敦子

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