介護と育児が同時襲来!ダブルケア日記vol.2【義父との確執編】

by 満枝満枝 2885views

56歳で若年性アルツハイマー病を発症した義母を在宅で21年介護しています、満枝です。2人の子どもを育てながら、介護と育児を両立するダブルケアを経験してきました。前回は、義母の認知症のはじまりを書きました。今回は、病名を診断を受けた時のこと、在宅介護がはじまった初期に起きた家族間の衝突について、振り返りたいと思います。

前回記事:介護と育児が同時襲来!ダブルケア日記vol.【もしかして認知症?編】

病気の自覚なき義母を、病院にどう誘う?

義母は病気かもしれない。早速、CTのある近所の病院に義母を連れていくことにしました。義母には病気という自覚はないので、誘い方には気を遣い、主人と思案しました。結局、

「引っ越したばかりで、新しい土地での生活に疲れも出てきたことだし、一度カルテを作るつもりで近所の病院にいってみましょう!」

と、ほぼ義母を騙した様な形でしたが、無事、義母の病院での受診が叶いました。

今は、ガンでも本人に告知するのが主流になっていますが、20年以上前の当時、告知なんてもってのほか。病院での診察後、義母と私の幼い子ども達は待合室で待機させられ、付き添いの私が診察室で診断内容を聞くという状態でした。とても暗く重く悲しい響きで、『アルツハイマー病の疑いがある』という診断を聞きました。

アルツハイマーの診断を機に、家族が分裂

「もっと詳しい診断を受けるために、大学病院の精神科を紹介しますね」

近所の病院で診てくれた医師は、そういって大学病院への紹介状を出してくれました。その夜、義母の入浴中、ひっそりと、夫と義父に義母が若年性アルツハイマー病の疑いがあると診断されたこと、今度は精神科を診察する必要があることを告げました。

『精神科』という言葉に、誰よりも敏感に反応したのは義父でした。義父は、義母の病気を受け入れられなかったのです。「(息子の)嫁が(自分の)妻をバカ扱いする」と激怒し、その日から私たち家族に対し、排他的になりました(避けるように、隠すように)。

子育てと介護に挟まれる恐怖

大学病院の精神科を受診した結果、やっぱり若年性アルツハイマー病と診断されました。

「若いので、進行が早いと思われます。2~3年で寝たきりになるかもしれません」

医師から告げられて、まず頭によぎったのは、子ども達のことでした。“2歳と3歳の子どもがいるのに…。今、お腹にも子どもが宿っているのに…どうしたらいいの?”涙が溢れ、「(おなかの)子どもは堕ろすべきなのでしょうか?」という私に、先生は、『今からどの様にして最期を迎えようかといういう人のために、今から…という大切な命を諦めてはいけない』と諭されました。

今考えると、私は自分のことばかりが気になっていた様です。そしてあの時、私はカウンセリングを受けていたのかもしれません。診察室を出る頃には、義母の病気を受けとめられた気がしました。子育てが大変な時に、お義母さんを寝たきりにしたりしない。現状維持出来る様に頑張ろう!と、あの時、自分の役割を決めてしまった様な気がします。

介護に疲弊した大人の顔色を伺う子ども達

私とは反対に、義母の病気を受け止められず、もがき苦しんだのが義父でした。私が診断名を告げて以来、義母の一挙手一投足に目を配り、注意し、時には怒鳴る…。義父は、《義母を元の良妻賢母の状態に戻す》ことに執着していました。

その一方で、私は、《義母の病状を現状維持するために、介護体制を整える》ことに執着していました。怒鳴る義父から義母を離そうとして、私と義父の関係は険悪化。義母は、家の中で居場所を失ったかのように戸惑うことが増え、ますます不自然な行動をとる…まさに悪循環でした。

そんな不穏な環境に敏感なのが 幼い子ども達です。義父や私の顔色を見るようになりました。家族力を合わせないといけないはずが、家族みんなが、それぞれの顔色を伺い、思いをうまく伝えられず空回りする日々が続きました。

一番苦しんでいたのは、誰?

今考えると、あの頃の義父と私は、お互いの自尊心を傷つけあっていたのかもしれません。そして義母のために頑張っていながら、義母の気持ちを考えずに義母の尊厳を崩していたかもしれません。

誰よりも苦しんでいたのは、義母だったと思います。

あの頃、義母は、子ども達と遊んでいる時 とても素敵な笑顔で過ごしていました。子ども達も義母と一緒に遊ぶのが大好きでした。義母が好んでよく歌っていた曲は、今でも口づさめるほど子ども達は義母になついていました。

しかし段々と、子ども達と義母の純粋な関係は、義父や私によって崩されることが多くなり…そしてどうしょうもないことですが…子ども達はできることが増え、義母はできることが減っていきました。そのことは、義父を悲しませることにも繋がりました。

あの頃に戻れるなら

義母への思いが強ければ強いほど、自分の思いに執着していく義父でした。そして、うまくいかない思いが増えていくたびに、同調しない私を悪者にしないと気が済まないようでした。確かに、義父の思いを否定する様な言動をとっていましたから、戦う様な感じになりますよね。(今思い出すと、反省することが多いです)

独走・独断は、誤解を招き、トラブルを招き、家族崩壊を招きました。ギクシャクしてストレスだらけの家庭の中では、お腹の中の新しい命も育ちませんでした。

もし、あの頃に戻れるなら…義父とともにやり直したいことがいっぱいあります。義母の診察に一緒に行き、一緒に診断名を聞き、一緒に悩み考える努力を…義母が笑顔でいられる環境作りを…。

後悔先に立たず、です。私のような思いをする人をひとりでも減らしたい。その考えが、後の認知症サポーターメイトや民生委員としての活動につながったのかもしれません。皆さんに伝えたいことは一つ。介護も育児も、一人で抱え込まないでください。私の体験をお伝えすることで、何かのヒントをつかんでいただければ嬉しいです。

★参考までに
NHK厚生文化事業団 冊子「家族が認知症と診断されたあなたへ」
こちらの冊子は、家族の認知症介護について、とてもわかりやすく、よくまとめてありました。もし、介護の初期段階でこの内容を読んでいたら、きっと違った形で在宅介護が出来ていたと思いますし、家族間での協力体制を整えられたのでは?と思います。今現在、介護に向き合っている方や、これからの介護に備えたいという方は、ぜひ読んでみてください。

The following two tabs change content below.
満枝

満枝

1961年生まれ。若年性アルツハイマー病を発症した義母の在宅介護を21年間山あり谷あり続行中。育児と介護を同時に行うダブルケアの経験者。現在、育児は卒業。在宅介護で潰れそうになった経験から、《育児も介護もたくさんの目と手と心が必要》と実感。現在は、認知症サポーターメイト、民生委員経験者として、その思いを発信中。
介護のお仕事

Facebookコメント