スイスでの認知症介護|パパと過ごした時間〜認知症のはじまり~

スイスでの認知症介護回顧録1

スイスの介護施設で働くリッチャー森脇美津子です。認知症は日本だけの話ではなく、 世界共通の社会課題です。異国の地で、スイス人の義父が認知症になりわたしはその介護を経験しました。今、彼と過ごした時間を振り返ってみたいと思います。

もの忘れ?記憶障害?85歳の義父に訪れた初期症状

私の義父は、アルツハイマー型認知症だった。彼は、スイスで生まれ、技術者としてリヒテンシュタイン公国の会社に永年勤め、定年後は会社の持つテニスクラブの管理人として過ごした真面目な人だ。また、趣味はテニス、スキー、山登りと、友達も多く社交的な性格だった。85歳の頃から記憶障害、見当識障害が出始めたらしい。

「もの忘れ」とは、例えば「きのうの夕食は何を食べたか?」と考えた時に、「何をたべたか」が思い出せない。これは日常生活の中でよくあることで、病気ではなない。ところが「記憶障害」は、「夕食を食べた」こと自体をまるごと忘れてしまう。また、記憶障害に並び時間や季節感の感覚、方向や距離の感覚が薄らぐ「見当識障害」も見られた。これらは認知症の初期段階から現れる、中核症状だ。彼は車を運転して出かけるも、その事実を忘れ、バスに乗り帰宅する。車の無いことに気づくも自分が運転していたのは自分だと理解しないという具合だった。

徘徊する義父を見つけた私
家に帰れなかくなった義父を探しにいき、工場現場で見つけたことも

車の運転を諦めさせることで露出した家族のいさかいを乗り越えて

運転した事実を忘れてしまうことが数回続き、自損事故を起こし、いよいよ家族から運転の禁止を言い渡された。しかし、本人にとっては忘れたという自覚がないため、突然の理不尽な提案に怒り、嘆く。義母は「自分が隣に乗るから運転させてやって」と涙ながらに言うし、夫は「自他共に危険な事を放っておけない」と言う。

「理解や判断力」にも障害が出てきた義父、混乱を招いたり攻撃的になったりと様々な感情をあらわにする義父と対峙し、納得をさせるまでには、家族にも相当な忍耐を必要とした。当時、義母と夫の結論の出ない言い争いの中で「なぜ、義父の認知症の進行を理解できないのか」と眠れない夜を過ごした。でも、私と違い、長く長く家族として歴史を重ね、暮らして来た家族が「一家の主」の変化をそうそう容易く受け入れられないことを知った。

根気よく急がさず義父の思いに添いながら、ようやく運転を諦めた彼だったが、日々の生活は普通に送れるし、身の回りのことは自分でできるため、妻である義母と二人で住み慣れた家で過ごすことができた。週末は私たち夫婦が訪れて買い物や外食に出かけたり、彼の入浴を手伝ったりすることで、おだやかな暮らしを送ることができた。けれど、それは義母の突然の入院を機会に瞬く間に崩れていったのだった。

日本で医療や介護の現場に関わってきた私ですが、「家族が認知症に罹るということ」は想像以上に気持ちや体に負担があったと振り返っています。また、環境や文化の異なるスイスで、私が自分の家族と共に向き合った「義父の介護」について書きたいと思います。

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リッチャー森脇美津子

リッチャー森脇美津子

看護師、介護支援専門員。大阪府出身。日本在住時、看護師として臨床と訪問介護に約15年携わる。その後、行政技術吏員(市役所 健康福祉課 基幹型介護支援センター勤務)として僻地での訪問診療、看護、基幹型支援センター事業に携わる。古民家茶房 「咲良乃実(さくらのみ)」店主。現在は、スイス東部にある介護施設「Pflegeheim Werdenberg」にて勤務。(看護職員)日本人ボランテイアループのケアチームジャパンの副代表も務める。
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