神様がくれた病気、認知症

皆さんはアルツハイマー病という病気をご存知ですか?脳の神経細胞の脱落や脱髄などから脳が萎縮する、未だに原因不明の神経の病気です。一般的な物忘れや場所や時間が解らなくなる(失見当識)、買い物や銀行に行けない(高次機能障害)などの症状の他に、周辺症状と呼ばれる幻覚、妄想、人格変化など厄介な症状もきたすことがある病気です。

うつ病と間違われやすいアルツハイマー病

 アルツハイマー病は、進行性の病気であり、発症してからの平均寿命は15年くらいで大体10年くらいで歩行不能の寝たきりに近い状態になります。最終的には食べない、しゃべらない、動かない状態(失外套症候群といいます)になり、死に至ります。通常は65才以降に発症し、老人性の認知症の原因疾患になることが多いのですが、稀に60歳未満、若年で発症することもあるんです。

 その患者さんも50歳代から徐々に物忘れが出現、男性で会社の重役だったのですが、いきなり会議に欠席したり、部下に頼んだ仕事も忘れてしまうようになったんです。物忘れがあることを本人も自覚し、何とかメモを取りながら仕事を頑張っていたのですが、半年くらいで、メモを取ることも忘れるようになり、このままでは会社に迷惑をかけると、散々悩んだ挙句に、いきなり辞表を出したんですね。

 そのことにびっくりした家族と上司に連れられて、僕の勤務先の病院を受診したんです。うつ病ではないのかと家族や上司に指摘されたのですが、うつ病としての所見は無く、認知症の検査(長谷川式認知機能検査)をした時に愕然としたんです。

 何と、この若さで中等度の認知障害を認めたんですね。(ちなみに14/30点でした)検査中に奥さんの顔が、真っ青になったのを覚えています。今まで家族は全然気がつかなかったんでしょうね。

 すぐに頭部MRIの検査をし、脳梗塞や脳腫瘍などの所見が無いことを確認し、アルツハイマー病と診断、家族と本人にもそのことを告知し、今後も症状が進行して、完全に元の状態に戻る可能性は無いことを説明しました。

 当然会社に復帰することも不可能なのですが、元々会社にいた頃は非常に真面目で人望も厚い人格者だったということで、上司の提案で、認知症ではなく、うつ病の診断書を書いて、病気休暇にして欲しいと言われたんです。そうすれば、休暇中の給料も支給されるし、退職金も出せるとの事。まだお子さんも大学生でしたので、願ってもない提案でした。

アルツハイマー病の初期は「戦い」。本人も、家族も。

 それから、彼とその家族とアルツハイマー病との戦いが始まりました。

 日本にはアルツハイマー病の薬は一種類しかありません。それも治す薬ではなく、進行を遅らせる薬です。大事なのは、今残っている機能を失わないようにすること、つまりリハビリなんです。計算ドリルや反射神経のゲーム、手先の運動、塗り絵など、奥さんが調べて良かれと思うことは、全て試しました。

 アルツハイマー病の場合、初期には自覚症状があります。暗記できない、計算ができない、物や人の名前が出てこないなど、今まで普通に出来たことが出来なくなる恐怖は計り知れません。それを見ている家族にも落胆と、先々の生活の不安が付きまとうんですよ。彼の奥さんも不安を隠しつつ、必死だったのだと思います。

 奥さんの献身的なリハビリのおかげで、その後1年間は何事も無く、認知症の進行も止まったんですね。外来の度に彼が塗った塗り絵や、作った工作を見せられて、奥さんの熱意と彼に対する愛情を感じました。

 しかしながら、発症して3年くらいしてから被害妄想と徘徊を認めるようになりました。特に奥さんに対する嫉妬妄想がひどく、時に暴力行為に発展することもありました。何度も警察に保護され、ひばり放送で名前が上がったか解りません。

 診療当初から家族には、デイサービスやショートステイの利用を勧めていたのですが、奥さんはそれを拒否。理由としては本人はまだ60歳前・・・間違っても老人と呼べる年齢ではないので、施設で周囲の方と比べると、どうしても目立ってしまうんです。老人の中に入れるのは可哀相だと・・・

 妄想や暴力に耐えながら、それは病気のせいだと自分に言い聞かせ、リハビリを続けている奥さんは本当に気丈というか、健気というか・・見ているこっちも辛かったです。きっと、良い旦那さんだったんでしょうね。

 安定剤を調節して、荒れていた時期は2年くらいで収まりました。しかしながら、認知障害は悪化し、認知機能検査も施行不能な程に進行、着替え、入浴、トイレも介助が必要な状態になったんです。もう、自分のことも時間の流れも解らないのだと思います。

認知症の末期になると、本人の苦しみから解放され、天使の笑顔が生まれる

 さすがに家族だけでは介護出来なくなり、介護サービスを利用、今では毎日のようにデイサービスに通い、月に一度はショートスティを利用しています。もう僕の顔も解らないみたいで、いつも困惑した表情で診察室に入ってきます。

 「仕事(デイサービス)の調子はどうですか?」と聞くと決まって奥さんの顔を一瞬見てから、「まあまあです」と万遍の笑顔で答えてくれるんですよ。その笑顔を見ると、何故か心が落ち着くんですよね。彼が診察に来るのが楽しみです。

 今後も病状は進行し、いずれ寝たきりになるのだと思います。その時には家族の顔も解らなくなるかもしれません。とにかく、歩けるうちは出来るだけ彼の笑顔が見たいですね。

 昔看護師だった家内に聞いたんですが、認知症は神様がくれた病気なんだそうです。人は皆、年齢を重ねると老化という現象が起こります。知力も体力も筋力も低下し、外見的にも皺が増え、腰が曲がってきたりするんですよね。
 
 皆さんも経験あると思いますが、そういう老いていく自分の体と、向き合うのは非常にストレスがかかるんです。無理矢理年のせいと納得するしかないんですけどね。そういう葛藤や自分の姿と向き合えなくなる、素晴らしい病気、それが認知症なんだそうです。

 不思議なことに、認知症の末期になると、感情失禁という感情表現が豊かになる症状や、多幸症という、いつも幸せを感じる症状も出てくるんです。往診やデイサービスなどで過ごしている、認知症の方々を見ると本当に楽しそうですよ。その笑顔には他人を癒す力があるんです。まさに天使の笑顔ですよね。

 昔僕が内科の研修をしていた頃は、「痴呆症」や「ボケ」という言葉がありました。話しが通じない外来患者さんに「どうせボケてるから」と親身にならない先生も多かったです。今では「認知症」という言葉が出来、「明日の記憶」、「半落ち」、「私の頭の中の消しゴム」などの映画の影響もあり、随分と病気としての認識が強くなりました。

 僕個人としては、理解できない、当たり前のことが出来ない、治らないからこそ、その人に何が出来るのかが、勝負なんです。医者の真価が問われるところだと思っています。

 皆さんも周りの認知症の患者さんの笑顔を、よく見てみて下さい。きっと癒されますよ。何てったって「天使の笑顔」ですからね!

※この記事は、仁科病院 院長ブログ「患者さんとの思い出話」の内容をアレンジして掲載しています

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竹川敦

竹川敦

東京都中野区生まれ。北里大学医学部卒業後、国立相模原病院精神科合併症病棟に病棟指導医勤務。北里大学精神神経科 研究員 精神保健指定医も兼務する。H16年4月より仁和医院院長。ゆたかクリニック非常勤務医。
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