認知症介護初心者・えふの父親介護日記、はじめます!

今年80歳の父を71歳の母とともに実家で介護をしています。「認知症」の3文字が私の人生に入ってきてから約3年です。怒涛のように状況が変化した最初の年月が遠い昔に感じるほどがむしゃらに過ごしてきましたが、幸いここ数か月はそれなりのリズムで落ち着いています。今後私からは、「人生ではじめての認知症介護」と向き合う中で気づいたことや、試してみて良かった介護方法などを発信していきます。初回は、自己紹介を兼ねて「認知症」の3文字が私の生活に入ってきた頃を思い出しながらまとめてみます。

記憶力はピカイチ。仕事もおしゃべりも、パワフルだった父

父は自他ともに認める仕事人間でした。自宅に仕事場を構え、時々鬱になったり、眠れなかったりしながらも、仕事から離れられない人生を過ごしてきました。おしゃべりをするのも好きで、昔話から流行りのアイドルまで、とにかく情報通。「絶対ぼけない人」とか「脳をフル活用している人」とかそんな風に例えられる記憶力の持ち主です。高血圧だけど健康体で、ねんざすらしたことのない父です。死ぬまで父は仕事をし続ける人なんだろうな、と思っていました。

30代後半に入った頃の私は月の半分ぐらいは出張に出ているような仕事をしており、空いている時間は自分の時間を謳歌する生活を送っていたため、実家にもすっかり縁遠く、たまに電話やメールをする程度でした。まさか父に異変が起きていたなんて、当時の私には思いもよりません。ある日姉から、「どうやら何かおかしいことになっている」と聞いて耳を疑いながらもあまり実感がわかないでいたのです。

「あんなに思考のはっきりした人が認知症のはずがない」

父の異変を実感したのは姉から話を聞いたすぐあとだったでしょうか。父が、「PCが壊れて仕事ができない」と日中に焦って電話をしてくることが続いたのです。週末に実家に行き、色々説明したり使いやすい設定をしたりを繰り返しましたが、最終的にはPCの電源に「電源はここ」と書いた紙を貼っても効果がなかったことで、「これは・・・」となりました。

何科に行けばいいんだろう、そもそも本人になんて言えばいいんだろう、と母と姉とあれこれ思案に暮れました。当時父が血圧の薬をもらっていたホームドクターに相談しましたが「あんなに思考のはっきりした人が認知症のはずがない」の一点張り。結局インターネットで調べて連絡をしてみた大学病院ではすぐには予約がとれず、その間に母が「腫瘍とかそういう病気だったら怖いから検査に行こう。」となんとか父を説得して初診を受けたのです。結果は初期のアルツハイマー・・・かもしれない、ということで投薬治療が始まりました。

異変の始まり 父が母を認識できなくなった日

そんなある平日の夕方、ただならぬ電話で職場から実家にかけつけると、駅から家に行く途中の道で怒りにふるえた顔の父と少し離れたところに途方に暮れた顔の母が、二人とも汗だくで立ち尽くしていたのです。どうやら父が母のことを「変な女がついてくる」と警察に行き、警察では相手にされなかったその後ひたすら歩きまわっていたとのこと。確か2012年の9月頃だったと思います。「つがい」と称される程仲の良い両親の異様な光景を目の当たりにして、得体のしれない現実への物凄い恐怖心と、どうしていいかわからない戸惑いと、「もう逃れられない」という気持ちとがごちゃまぜになった、そんな始まりでした。

“認知症は地域で支えよう”じゃなかったの?

ホームドクターはそれでも「鬱」と診断をしていました。父の症状はまるで何かのスイッチが入るかのように瞬間的に発生します。スイッチが入るとまったく対応ができない状態が始まるため、いつもそのスイッチが入る恐怖に怯えていました。スイッチが入ったときの父の怒気が強くなり、危険を感じるようになった頃、父を連れずに相談に行った病院で医師にこんなことを言われました

「78歳はそのぐらいのことがあって不思議がない“高齢者”である。病院に来ても何もできることはない。一度アルツハイマーの診断を受けたことのある人は老人病棟では受け入れられないし、精神科は若者を対象にしている。万が一精神科に入院させてもそういう症状ならば拘束する」

厚労省の“認知症は地域で”のメッセージ、困ったことがあれば早めに病院へ、という宣伝が全く現実にそぐわないものであることを痛感して途方に暮れていました。その頃の父の症状は、記憶力は全く問題なく、一旦スイッチが入るとひたすら筋の通らないことを語気荒く言いながら攻撃的な顔つきになる、というもの。そんな中ホームドクターも途中からお手上げになり、知人の精神科医に連絡を取りながら別の薬の処方をし始めました。その精神科のドクターが勤務する大学病院に紹介状を書いてもらい病院に行く頃には、今度は父の体が自由に動かなくなってきていました。パーキンソン症状が出てきたのです。

もしかしてレヴィ―小体型認知症?

時間を見つけては認知症を調べまくっていたこの頃、父の症状に近いのではないかと思うものを見つけました。レヴィ―小体型認知症です。けれども医師にそれを告げるとうんざりしたような反応をされるだけ。とりあってはもらえず、結局はっきりとした診断は得られませんでした。そんな中、どんどん父の全身症状がひどくなり、認知症どころではなくなりました。朝起きるとベッドから落ちて、がたがた震えていることも続きました。顔の筋肉も弛緩し、焦点も合わず、立ち上がると全身が揺れて支えていることもできないほどです。衰弱が進み、あっという間に褥瘡ができました。

その頃には介護認定がおり、ケアマネージャーの方や訪問介護の方や介護タクシーなど急に色々な方の手を借りるようになり、「認知症」から「介護」に焦点が移っていった感じです。電動の介護ベッドが入り、室内も車椅子を使用。父の症状に対しての緊張感・「どうして?」の質問を繰り返す母へのいら立ちなど、緊迫感しかない日々を過ごしていました。

「今が一番いい時!」と思いながら暮らす現在

あの頃から間もなく3年が経ちます。色々な経緯がありましたが、今では母も父の病気を受け入れ、100%父中心の生活スタイルを母なりに作り上げ、気丈に過ごしています。姉と私は自分の家に戻り、週末実家に泊まりに行く生活をしています。父は色々なことができなくなりましたが、それでも大好きな自宅で過ごしています。幸い家族のこともわかり、攻撃的になることもなく、それどころか持前の尋常ならない記憶力を保持しています。これに慣れてしまいそうになりますが、「今が一番いい時!」と思いながら今できることをするように心がけています。

私と同じように、初めて親を在宅でとまどいながら介護する方は多いと思います。このコラムでは、そうしたご家族の方々に、私の手探りの介護エピソードが少しでも役に立てば嬉しいです。次回からは、失敗談も交えながら私の経験などについて、書いていきます。よろしくお願いします!

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えふ

えふ

今年80歳の父を71歳の母とともに実家で介護をしています。「認知症」が私の人生に入ってきてから約3年です。現在は自宅に一人住まい、平日は仕事をして週末実家に通っています。もともと福祉関係に興味があり実家での介護生活の時間の有効活用で住環境福祉コーディネーターの勉強をしたけれど、その他福祉関係の資格は実務経験が求められることが多く、現在の仕事をしながらできる福祉関係の勉強を模索中です。YouTubeで見るケアの方法を週末父で試すことが現在の楽しみです(大抵うっとうしがられて失敗に終わります)

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